now and then

僕の好きなDDTプロレスリングの彰人選手が出身大学が自分と同じであることをツイッターで知り、懐かしくなって出身校のことを調べたり一人暮らしていた学校周辺の街をグーグルストリートビューで探索したりしていたのだけど、ふと思い浮かんでかつて自分が住んでいた実家の方も覗いてみた。


懐かしいなあ。いつもお客さん全然いないのになぜかずっと経営できていたお蕎麦屋さん、まだ続いてたんだ。僕は好きだったから知る人ぞ知る店から知られたお店になっているのなら嬉しい。むしろ本格派と言われてたうどん屋さんがなくなっていたり、オープン時にはあんなに話題になって盛り上がっていたモスバーガーは影も形もなくなってる。栄枯盛衰でもなく、たくさんの人間が複雑に生きてるからこその変化なのか。


実家の前にあった仲良しだった同級生の家は完全に違う家に建て替えられていた。二世帯のかなり立派な家でみんな幸せそうに暮らしていたけど、お父さんが仕事で無理をし過ぎて障害を負ってしまって一家離散したと聞いた。その後は母方の親族が住んでたらしいけど、あの大きな家を取り壊したくらいだからもう見ず知らずの人の土地なのかもしれない。
何かを考えるには当時は幼過ぎたし、今振り返って何かを想うのも勝手に思える。同級生やその弟たちと近所のグループでワイワイ騒いでいた想い出だけが僕の全て。


向かいのかつての我が家は何も変わらずそこにあった。狭くもないけど、地震が来たら一瞬で潰れるとか話してたくらい昭和な作りだったのに。
一戸建てを10数年に渡って借りていたのだけど、まだ次の住み手が見つかっていないのか、それとも建て替えを待つ姿なのか。
もう会えない母親が大切にしていた花壇は今は何も咲かないないままそのままで、愛犬が繋がれていた柱も彼女を伴わず変わらずそこにある。
良かったことも嫌だったこともそこにあった。眠りについたように今もそこにある。あの家から僕は旅立ってきた。


どれだけ手を尽くしてもその時を永遠にすることはできない。そうやって割り切って瑞々しい部分を引きちぎられながら大人になって、残るのは寂しさばかりなのか。


ベッドで横になりながらスマホを見ていたら知らないうちに涙を流していた。いつも一緒に寝ている4女のネコが何かを察したのか体を動かしていつもより更にくっついてくれた。今の僕にも今の家族がある。
想い出を大事に、今を大切にしていく。