一曲

凛として時雨, Telecastic fake show

Telecastic fake show

Telecastic fake show

職場にバンドマンが入ってきた


まあ流れ的にどんな音楽聴くんですか?のような話になるんだけど
彼は「ロキノン系です!」と即答で答えてくださった


ロキノンはもう数年読んでないので
最近のロキノン系って言ったら誰なのと聴くと
凛として時雨だとのこと・・・


前述の通り、自分はその冊子自体数年間開いたこともないし
興味もないし
時雨がそういう界隈に属してるのかもわからない



ただ何だこの違和感は


雑誌の内容にケチをつけられるほど読み込んでるわけじゃない
ただ、おれははっきり言って
「自分たちこそがシーンを書いてるんだそれ以外は何物でもない」ってあの空気が好きじゃない
そしてそこで群れるのもどうなのかと思う


そもそも雑誌のイメージで音楽やスタイルの系列を括られるって
それは書き手としても演り手としても
表現者としては寂しい話になってしまうと思いませんか?
世界とか次元ってもっと語りきれないほど広く深いはず


この手の発言がこれから先の活動を不利にするのは解ってるけど
自分が大切にしてきた音楽との齟齬はどうしてもここに在るというか
それを感じる度に
おれは死ぬまでコドクを守りたいと強く思う