・・・この僕が?
いつかのブログを毎日更新することを習慣とし、楽しみにしていた頃の僕はどこに行った。かつての習慣が稀で貴重なタイミングになるとか守りきれない大人に成り下がった証拠だな。死ねばいいのに。
ミイラみたいに現存し続けるくらいなら消滅すればいいのに。
ともあれ、こうやって書き続けたいという気持ちとタイミングを抉じ開けてやるという想いが伴って更新し続けられているのは3年ぶりくらいなので、何というかこのまま取り戻したいですね。
そして本当の意味で更新したい。
大人こそ更新しろ未来を。
いつかのブログを毎日更新することを習慣とし、楽しみにしていた頃の僕はどこに行った。かつての習慣が稀で貴重なタイミングになるとか守りきれない大人に成り下がった証拠だな。死ねばいいのに。
ミイラみたいに現存し続けるくらいなら消滅すればいいのに。
ともあれ、こうやって書き続けたいという気持ちとタイミングを抉じ開けてやるという想いが伴って更新し続けられているのは3年ぶりくらいなので、何というかこのまま取り戻したいですね。
そして本当の意味で更新したい。
大人こそ更新しろ未来を。
かつては小熊みたいにコロコロ可愛かった後輩の女の子が言っていた。
この火傷の痕が一生消えないものになるのだとしたら、今日という日が僕の一生に決定的な刻印を一つ残したことになる。こんな何でもないまま過ぎるはずだった1日が。
いや、全ての何でもない日は瞬間は、目に見える、見えないに関わらず刻印を残し続けてるんだろう。傷跡でも皺の一つも、成長や錯覚でも。
このブログの1エントリーでさえ。
アイドルみたいな女の子と海とか夢のことをキラキラ語る未来しか見えてない。
他人がプレーするサッカーに自分の人生乗せるなよと言っていた女性議員(?)の言うことにも一理ある。
でも、他人の共感に口を出すのは人としてのデリカシーを欠いている。共感は人生の一部にも全てにも成り得るもの。
ただその論でいくと前者の言うことにも一理ある。
音楽に感動したりサッカー選手やアイドルの輝く姿を見るとその後吞んで語りたいというよりは、帰って練習したり曲を作りたいと思ってしまうくらいには僕も自分ジャンキー。
再びお前を生きろと山田かまちも言っていた。
死ぬかもしれなかったことから生き延びたことを思い出すとそう簡単に死なないなと思う。
数日前から咳が止まらなさ過ぎて死にそうなんだが、おれはきっとこの風邪との戦いから生還するだろう。