12カン

12月のカンガルー (CD+DVD) (Type-A) (初回盤)

12月のカンガルー (CD+DVD) (Type-A) (初回盤)

ブログの日付は6月ですが現日時は12月11日です。


ん?時差かな?



12月になる度にこの曲を思い起こす。
「12月」と銘打たれた曲なんてこれしかないってのもあるが
想い入れ強いですね・・・本当に。


発売当時に書いたエントリー


http://d.hatena.ne.jp/eureka-meghni/20141213


長い衛星航路歴の中でも5本の指に入るくらい好きなエントリーかな
(いつか好きなエントリーランキング書くか・・・)


時々、自分が頑張ることに誰かの努力に何かを思う事にも
麻痺しそうな時
その度読み返して来たな。



あれから2年経ち、ダブルセンターだった宮前も卒業してしまった。


宮前とこの曲について書いたこのエントリーも好きだな。


http://d.hatena.ne.jp/eureka-meghni/20151018


自分の書いた文で泣ける日が来るとは(笑)
マジ泣けるんだが・・・


泣きながら胸を張ろう。僅かでも関わってきた誰もが。




高校の頃の担任だった音楽教師に
「これからの時代は音楽は全てコンピューターに取って代わられる
全ての楽器の音も、ギターの雑なグリスだって再現できる。
ミュージシャン気取りのあんた達なんて用無しよ」
と言われたことがある。


今だったら
「それならコンピューターで再現出来ない断末魔をこれから録るから
死を覚悟しろババア」くらい言うのだが・・・それは冗談として。



あのババアのお陰で人が音楽と関わる
音楽を演るということについてずっと考えてきた。16年近く。


答えに触れるような瞬間や感動はたくさんあったのだけど
もっとも核心に触れたのは、カンガルーセンターの宮前卒業時に
作曲者の外山さんから寄せられた
「ありがとう」の一言だと思う。



音の代用はもう何にでもいくらでも出来るのだろう。
細かいことを気にしなければ声ですら
初音ミクさんで何もかも請け負える。


じゃあ人が音楽に託せるものってなんなのか。
ただの音符の数と、その移動だけなのか・・・違うだろウンコババア。


音楽が、もとい作品が発音した今から未来まで残る現象として
その作品が何物かになるのは関わった人がいるからだろ。
物語とかドラマって言葉を使い始めると急にオタクっぽくなるけど
でも正にそれだろ。


円盤のWAVのmp3の、物とデータの音の連鎖に
意義を与えるのは人間にしか出来なくて
意味として捉えられるのはまた、人間でしかない。


文明は最先端を目指し尖り続けるけど
文化は最後の意義を守り続ける。


その尊さがいつまでもあらゆる人間の強さも弱さも守ってくれる。



宮前には、外山先生にはそれを教えてもらった。


ありがとう。