星を追う大人

何かを頑張ってる努力してるとか
我慢してる、堪えてるってのは個人の問題であって
社会的な通念からズレてしまってるだけで
それはほとんど何の意味も持たない。


ズレていること、違っていること
適わないこと及ばないこと
それぞれ理由はいろいろあって
例えば僕は、物心ついた時から世の中と考え方が違ったということなのだけど
或いは自力の及ばない次元で環境に抑圧されている人もいるんだろう。
あるいは身体や心にハンデを抱えていて
そう感じる人、状況に身を置く人もいるのかもしれない。



代弁したいとか救いたいとか大それたことじゃない。
共感を求めたいみたいなおこがましいことじゃない。
そうじゃなくて、誰もが幸せな時には幸せだと
嬉しい時には嬉しいって思ってもいい・・・
その瞬間に届きたい。僕はそこだけに届きたくて
今の音楽を演っている。


どれだけ世間からズレようと、当たり前に及ばなくても
違う形や足りない大きさには
それでもそこに個人と全力が存在する。
形の間違いが社会でどこまでも間違いであっても
感情の否定とイコールには絶対にならない。



http://d.hatena.ne.jp/SHADE/20150524


先日の星追いのライブを観に来てくれたゆた君が書いたブログ。


嬉しかった。それこそ嬉しい時には嬉しいと
僕自身がやっと思えたのかもしれない。



一ミリも妥協しなかった、一秒も甘えなかった。
幸せな時には幸せだと思う資格が僕にはある。
頑張ってきた、個人の問題それだけが
何の意味も持たないはずの世の中で
僕にとって、誰かにとっての僅かでも何かにはなれてきたのかな。



今日も明日も、未だそれでも
星を追いかけてく。