<島津と大友宗麟>「キリシタン王国」の夢を断つ (歴史群像デジタルアーカイブス)
- 作者: 桐野作人
- 出版社/メーカー: 学研プラス
- 発売日: 2014/09/24
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「武士の時代は主君の無謀な政策で国が傾いても
『お国の一大事!』と命を懸けなければいけなかった」
みたいなことを書いた覚えがある。
これは自分の職場への皮肉なんだが・・・それはさておいて。
義理と忠義と道理の時代においては
選択の正しさ以前にそれこそが美徳だったわけだが。
果たしてそうなのだろうかということを最近よく考える。
それだけなのかというか。
例えば戦国時代の九州の大友宗麟。
彼なんかは「音楽の都ムジカを作る」とか言い出した時点で相当キテるのに
その戦い、そこからの衰退の日々になぜ付き従う人達がいたのか。
忠の次元だと言ったらそこまでだけど
最近、自分は宗麟の夢に少なからず共感した人がいた・・・というより
それまで基地外レベルで放蕩で粗暴な生き方をしてきた宗麟が見つけた夢
彼が夢を見つけたことに何かしら感じるものがあった人が
少なからずいたんじゃなかと思ったりもする。
恐怖政治を布いてる人が改めて抱く不確か過ぎる希望とか
そこに見え隠れする儚さは
ある種、人を惹きつける美しさがあるからな。
ああ、これ「社長は無茶ばっかり言うけど、根はいい人なんだよね」
と口にしながら言いなりのままで過労死していく
ブラック企業に素で勤めてる人がいることに似てる。
結論、大友宗麟はクソ野郎。