野性児だった僕ら

suede, the wild ones

チェリーブロッサムのシーズンだからなのか
職場に外国からいらっしゃられたお客様が多い。


日本を観光地に選んでくれてありがとう。
でも、こんなフランスもどきみたいな店に来ちゃダメだよ。



「日本人が外国の人に劣等感を抱いたり、ルックスに憧れてしまうのは
戦争で負けたことからのコンプレックスだ」
・・・のようなことを誰かが書いていたけれど
あの目の青さとかなんて、「空の青はきれいだなあ」と同じレベルに
単純に美しいとしか思えない。


そして例え戦争に勝ってたとしても僕らの目は
永遠に夜のような奥行きのままだ。



違う目で見る視界は言葉や説明で共有できたとしても
実際の見え方は当人だけのもので、それだけは一生解り合えない。
青と黒の見る世界の違いもそう、奥行きの日本人同士でさえも。


だからsuedeの歌詞を覚えている時、和訳している時なんかに
ブレットがレコードの針が進むのを見て人生が磨り減るのを実感すると書いていたり
バンガローで墓地に遊びに行っちゃった時のことを想い出して
あの過ちさえ切ないなあと思ってるのを見ると
レコードの回転や墓地のシリアスさがどう見えてるかは別にしても
同じ何かを見て想像する何かの同一、その共感によって
初めて定まる世界の構図みたいな次元は存在する気がする。


そして、音楽はそこで重要な役割を果たせるツールの1つなのだろう。
国境や瞳の色を超えるとかじゃなくて・・・もっと本来的な
心臓が鳴ってる生物同士なところで。



でも、こんなフランスもどきみたいな店に来ちゃダメだよ(忙し過ぎ)。