朝日の誓い(中編)

熊木杏里, 朝日の誓い

私は私をあとにして

私は私をあとにして

自分は関東に越し来た時、腹を括ってきたというか
国を捨てて来たという想いが強かった
愛知が嫌いなわけではなかったし
職場も嫌じゃなかった、家族も嫌いじゃなかったし
ましてやバンド仲間や先輩達との日々は楽しかったから


だから余計に帰り辛かった
何かを成し遂げて、それを手土産、手形にでもしないと
自分の中の葛藤とか道理を越えられない気がしてた


最初に帰省したのは2・・・3年後だかの正月だった
母親から「祖父の身体が弱ってるから、みんなで集まれる正月を大切にしてあげてください」
という連絡を受けてのことだったと記憶してる


相変わらず偏屈なプライドやら恥じらいを抱えたままの帰省だったので
帰っても元職場の人たちの集まりに顔を出したくらいで
特別人と会う機会も作らなかったし、出来れば会いたくなかった


懐かしさを味わえるのは後はここくらいかなと
久しぶりにあのCD屋に足を運んだのは千葉に帰る前日だった



当時から音楽のデータ化が一般レベルで進んでいて
CDやレコードに正しく相応しい値を付けて売ることをスタンスにしてるような
個人経営の店なんていつ潰れてもおかしくなかったので
まず、まだ営業してることにホッとするやら嬉しいやら



「いらっしゃい・・・あら」


数年ぶりなのに覚えていてくれたのか
常連とは言えCD屋に立ち寄っていただけの客の一人を


「あら、ええと・・・カフェで働いてた子だったよね・・・確か
確か・・・」


お久しぶりです。久しぶりに愛知に帰ってきたから寄ったんですよ」


時の流れによるものか、少し疲れているようにもやつれているようにも見える


おばさんは続ける


「実はちょっと前に倒れてしまってね
集中治療室に入って、入院してたの
脳の異常だったみたいで、記憶に少しずつ障害も出るようになっちゃって
人を判別することが難しくなってきて・・・ごめんなさいね
仕事もいつまで続けられるか
だから、何となくでも覚えていられた人がいることは嬉しい」


目に僅かに涙を浮かべながら話してくれる


僕は驚きにも悲しみにも、恐怖にも落ち着けないような不安定な気持ちのまま


「まあCDめっちゃ買いましたからねえ!僕は買ったCDすら一枚も忘れてないですよー
カフェで働いてたタカハシですって!」


他人が抱えるリスクの前で、同情に寄り添った言葉を口にするのは昔も今も苦手だ
でも、昔のような、昔のままのような事を
自分勝手でも伝えて帰りたかった


「いやいや、大丈夫ですよ!度々僕は来ますからね、帰ってくる度々に!
忘れないでくださいね!」


弱った記憶にそれでも接触するのか
笑ってくれることが、それだけでも嬉しかった



あの頃、僕は未来とは全ての問題の解決か
何もかもが覆る奇跡の為にしか存在しないと
ずっと思っていた