武田勝頼

仕事の雇用形態も様々なように
友人や恋人関係も、先輩後輩の仲もいろいろのように
戦国時代の主従関係もまた多種だった。



元々「大名」なんて言葉すら後世に作られ
定義さえ時代によって状況によって曖昧なままで。


僕が歴史ガチ勢だった当時の定説としては
武田は主従関係のある、それこそ大名と家臣という形態ではなく
あくまで信玄をリーダーとする豪族集団とされていた。


リーダー!ついていくぜ!的なエグザエルみたいな感じか(いや知らんけど)


なので武田の危機に際して穴山や小山田が織田側についたのは
裏切りというより、一つの選択のように書かれていた。



人は城、人は石垣、人は堀と・・・人の情により成り立ち、強く
その先の未来を信じ騎馬を走らせ続けた武田家が
人の心が離れることによって崩壊していく様は切ないが
実際、織田も豊臣さえもリーダーの死による求心力の喪失で滅亡している。


唯一、代を重ねて永らえたのは主従関係ガチガチの規律を作り上げた徳川だけだった。



勝頼の死と武田家の滅亡を描いた第二回の真田丸


勝頼や昌幸、残された者の言葉に物言わず佇む信玄の霊は
あらゆる意味で答えることの・・・応えることの出来ない
かつての夢や理想の姿だったのかもしれない。


時代は変わっていく。