手紙

中学生の頃、42.195キロを歩くという企画があった時
実は事前に親に手紙が送られていて
「その日のお子さんにお弁当に手紙を添えてあげてください」
と記されていたらしいですね


多くの友達が親からネタバレされてたとか
バカバカしいと口にする中、反抗期真っ盛りの僕は
やっぱりそれを喜びとして口には出来なかったけど
本当は嬉しかったよ


そこにはこう書いてくれたね
「陸上の大会で最後まで全力で走りきり入賞したあなたを見たとき
私の息子だと思いました」と


その手紙はそれから約20年経った今も
大切に持ってます




今日という日をどんな風に迎えるんだろうと思ってました



1年間、お母さんのことを思い出さなかった日は1日にもなかった
埋め合わせられない空白とか
そこに映える、時間にさえも色褪せさせることのできない悲しみが
そのままで過ぎてしまったこの1年後を


でも、いざ現実や遺影に向き合って思ったのは、口にしたことは
「すてきな1年だったよ」でした


人が最期にくれるプレゼントは別離だと誰かが言ってたけど
うーん、僕はそこまでは割り切れないですねえ
そんなこと言える人は本当の別れを経験したことない人でしょ?
とか思ってしまうのは卑屈でしょうか(「卑屈だよ」というお母さんの声が聞こえるぜ 笑)


でも、もう何もチャラに出来なくなっちゃったなあ
穢せなくなっちゃったじゃんとは思ってます



行動や選択によって過去の価値や意味はいくらでも変わってしまう
想い出は自分で守らなければいけないもの
楽しかった日々や忘れられない言葉や、面影の数々が
ずっと今日の僕、明日の望みを支えてくれたように思います


だからそれに背を向けるような生き方だけは
絶対に出来なかった



いやー、貫くというか諦めないというか
心を守り抜くみたいな日常って本当につらいっすわ
ぶっちゃけ何回か死にたくなったもん(笑)


でも、そんな毎日だから出会えた人たちや繋がり
ふざけたり笑ったり凌ぎ合えたり、もっと話したい会いたいと思えたこと
感じることのできたことや、宿った言葉の数々・・・
それは単純な肯定以上に
僕にとって本当に本当に意味のあったことのように感じます


すてきな1年だった、それ以外の言葉はないね
一生、死ぬまで忘れられない時間になった
そしてそれは明日からも続く



まあ、それでも言いたいことは「ありがとう」というより
「全くもう!!!」って感じです(笑)


これはまだプレゼントじゃなくてお守りみたいなもんです


感謝として口に出来るような人になれるよう
そんな未来まで辿り着けるよう、胸にぶら下げて
時々向き合って歩んでいきます


その場所でまた「私の息子だ」と言ってもらわんといかん


ありがとうとかそんな本音らしきものは
大好きみたいな歯の浮くような本心はまだ
まだ、取っておきます



こうやって書き始めると話したいことばっかりだなあ
変わらず自分の道に真摯な妹弟のこととか
誰より尊敬するお父さん
おくこさんやイノマタ君やイワイ君
ともさん、ゆた君
大切なバンドの仲間や職場のみんなのこと
・・・聴いてほしい曲もいっぱいあるんだわ


これはあの日の手紙への返信だったのかもしれないね
今の僕だから書けること、やっと書けること
誰にも話せなかった、だから
ずっと読んでくれていた衛星航路に書きます



早くまた会いたいです


その日まで、世界は違っても
どうかお互いらしい日々を




星追い、ラテラリティ、上野バンド
高橋宏彰