あなたを乗せた飛行機が 私の行きたい場所まで

BUMP OF CHICKEN, (please) forgive


最近、過去のブログを読み返すのが趣味なんだが
さすがに衛星航路はまだいろいろ生々しいので
その前に書いていたmixiの日記と、更にその前のはてなダイアリー
日々遡り続けてる


想う事はいろいろあって
それぞれ、その都度折に触れて書こうかなと思ってるんだけど



いくつかの日記のコメント欄にある人のコメントを見つけて
いろんな想い出や感情がフラッシュバックした



・・・もう随分時間が経ったから
自分の為に書こうかなと思うのだけど



今の職場に異動してくる前の、前の店に勤めていた頃
一人のお客様の女の子ととても仲良くさせてもらってた


ある日、突然店で「お友達になりませんか?」という手紙と連絡先を頂いて
そこから始まった繋がりだったのだけど



当時、自分は超絶ガチバンドマン期で(最近それに戻りつつあるんだが・・・)
バンドを掛け持ちしまくってスタジオに週5とかで入って
月に2〜10本近くライブ演ってた頃だった
純粋に、単純に「頑張ってた」頃だった


目指す夢の為、語学学校に通い
学校に行く前や帰る時には2日と空けず店に来て
数時間黙々と勉強を頑張る彼女に
そんな自分は勝手に近いものを感じてたし・・・そう感じてもらえてたのかもしれん


店でパンを品出しする時なんかに
音楽やら日々のことやらいろんな話をしながら
最後は「お互い頑張ろう」で締められることが嬉しかったし
そう言い合える相手がいることで頑張れてた部分はあった



あの頃は今以上にその生活に対して周りからの逆風が壮絶だったし
自分が書いている、作っているものにも自信が持ちきれずにかなりつらかった
(この悩みは30歳まで続いた・・・意志とアウトプットがずっと釣り合わなかった)


そして、夢を追っている人間が勝手に感じてしまう孤独みたいなものに
未熟が故に常に苛まれ続けてた


自分が付き合っていた恋人は本当に本当に本当にすてきな人だったけど
それとは別の部分で、彼女にはずっと支えられていたんだと思う
世間の理屈から言えば勝手といえば勝手で
でも、心は一つ一つに誠実でしかなかった


だからこそ感情の正体が解らなかった




約2年間に渡るそんな毎日も
前の店の突然の閉店、お互いの生活環境の変化などによってフェードアウトしていった


そんな支えを失ったからなのかどうかは過去の荒波に尋ねても解らないけど
その後、自分はずっと目指していた夢に対して徐々に揺らぎ出して
一時は「挑戦の旗を降ろす」とまで口にしていたな


でも、いくつかの恋や約束や夢の敗北、親との別れ・・・社会や現実のシリアスを経て
自分が再生の為に進んだ道は「新しく選ぶこと」ことじゃなくて
「抱えていく」、再びの挑戦だった


もう、独りだけの挑戦、だけど今までの全部を抱えて
最後に「頑張ってきた」と言葉にする為の戦い





以前の日記にその彼女がくれたコメントでこんなものがある


「自分のいくつもの傷が癒えなくても本当に早く物事は進行していますね
しあわせも不幸も、よろこびも悲しみも、目標も妥協も、善も悪すらも
抱えて生きているのが、わたしたちなのかな」



僕は、自分なりの「抱えた」生き方を今になってやっと見つけたと思う


傷が癒えなくても・・・よろこびも悲しみも、目標も妥協も、善も悪すらも
抱えて生きているのが僕だと言い切れる
その未来を信じてると、今なら言葉に出来る


それは当時の彼女がこうやって残してくれた問いがどこかにずっと残ってて
育ててくれたものなのかもしれない




支えであり、憧れだったんだと思う
同じ疑問や孤独を知るものだと解っていて
それでも戦い続ける人が自分の毎日に居てくれることが
どれだけ心強かったことか


感謝だと定義付けるには膨大な時間にも事実にも阻まれてしまうけど
でも今、そんなことを想っています




生まれ変わったらもっと単純な人間になりたい


平成らしい人生に振り回されながら
夢とか戯言っスよね!!とかヘラヘラしながら
好きとか好きとか好きとかそんなことばっかりで
今度はおれから恋しにいきますよ(笑)





これは独りだけの挑戦、だけど今までの全部を抱えて
最後に「頑張ってきた」と言葉にする為の戦い


交わしてきた全ての「頑張ろう」に
「頑張ってきた」と伝えるまでの旅