ブルーの夢の夜

Muddy Waters, honey bee

After The Rain

After The Rain

普段、家でテレビを見ることはほとんどないのだけど
実家に帰ってきた時は父親が観ているテレビを一緒に観たりする


夕食後、父親がテレビをつけながら横になってたので
同じ炬燵で小説を読みながら
流れてる番組をチラ見したり、BGMのように音声を聞いたりしてたのだが
その時流れていたドラマの台詞の中で
ふと気になったものがあった


「私は、夢を追うことが出来るというのは
恵まれた環境に生まれたものだけが出来ることだと思ってきた
・・・だが、それはただの自分自身への言い訳だった
それを続けることが出来た君は
そもそも私の物差しで測れるような人間ではなかったからだ」


本を読みながら聞いてたのでちょっと曖昧で
そもそもどんなシチュエーションで発せられた台詞なのかよく分からんのだけど
世の中の残念な悟りやらおれのダークサイドを妙に射てくる言葉だなと思った



職場に音楽で海外留学させてもらってきたような子がいれば
自分はヤッカミのあまり嫌味や皮肉の1つや100個は口にするし
親が音楽好きで昔からいろんな音に触れてきたやつがいれば
うらやましさや嫉妬のあまり自分の育ってきた環境を憎んだりもした
(今となってはハイパーラブだが)


人間、望みというステージでこそ醜いくらい本心に向き合うことになる



でも、例えば「ブルース」って音楽は元々は
黒人労働者、奴隷による魂や嘆きの唄
過酷な生活の中、ギター一本で歌い継がれてきた民謡だったわけで
彼らが馳せた想いがいずれ、夢や救済どころか
世界の価値観すら変えてきたわけだから・・・


環境をリスクと考えるか理由と考えるかで、生きることのニュアンスの捉え方は変わってくるし
そこで本質を見失わなければ、それは無限に続く可能性になる



内容のよくわからないドラマの中の一場面に
マディ御大の滑り込むようなスライドギターを思い出して
勝手にブルースを感じた夜だった