三月という窒息

先月の送別会云々のことを書こうと思ったのだけど


年度を跨いで、それぞれの環境や季節も移ろってしまったからか
たかが先月のことなのに「あの頃」に感じてしまって
その時のリアルタイムな気持ちで書くのは難しいと思ってしまった



誰かが居なくなっても誰かがやってきて
仕事も世の中の仕組みも変わりなく回ったとしても
喪失は喪失、不在は不在だよなと思う


その人が居なくなって失われる、一緒だったはずの時間は
自分が持ち得たその時間の一部の壊死に等しい



例え、店が忙しすぎてそんなことを感じる余裕がなかったとしても
新人がありえないくらいかわいくて、人生最高にタイプだったとしても・・・
どこかの欠けた「いつも通り」で生きてる事実を
時に感覚として、時にフラッシュバックとして思い知らされる



前のバンドの時
「走るほどに細胞が死にゆくよ」
って唄ってた気がするけど
実際、細胞は分裂し続けて滞りなく人体は再生し続ける
でも二度と同じ細胞によって構築された
同じ感覚を生きることはできない



失われるもので僕は作られてる