ワロタピーポー

ワロタピーポー(通常盤)Type-A

ワロタピーポー(通常盤)Type-A

職場に某お笑い芸人が来店した。駅でのロケの合間に駅に隣接してるうちの店に休憩しに来たみたいだったが、テレビのままの奇抜な衣装で来店し、店内で大きなパーカーを羽織って変装するというタイミングの謎さを発揮していた。もう店のガラス越しに野次馬が群れているよ!
公人相手にスマホのカメラを嬉々として向けるほど無神経ではないとしても、特別好きでもない有名人を見ただけで得した気持ちになるくらいには一般ピーポーです。



いや、これ仮に自分の好きな芸能人が来たらどうなってしまうんだろうか。「握手してください」って言おうとして、やべ握手券持ってないやってことに気付いて、「ががが頑張ってください」とか伝えるのが関の山の律儀で謙虚で気持ち悪いオタクっぷりを発揮してしまうのだろうか。
律儀で謙虚で気持ち悪いオタクであることは既に事実だけど。

水際恋愛

星の出来事

星の出来事

タイプの人を好きになるわけじゃなくて、好きになった人がタイプみたいなこと言われがちだけど、嫌いなタイプはその属性に接触した瞬間に即死するから面白いなと思ったりする。興味を持たなくても好きになったりするけど、気になったら嫌いっていう身勝手さあるね僕ら。


言葉が汚い人が苦手で、「メシ食いたいな」とか言われた瞬間アウトなレベルなんだけど、そもそもそれは以前の日常で察知出来ることで、そんな人とご飯食べに行くシチュエーションにならないのでは。出会い系でもない限り・・・いや、出会い系こそメールの文で嗅ぎ分けられそうだ。出会い系いいぞ(多分良くない)。

悲しみを愛せるように

流行りの冗談は何一つ笑えなくて
深刻そうな話は転げるほど愉快だ
逆さまについた角が自分に刺さりながら
泣き笑いの真実を探している


古ぼけた太陽は少しずつ色褪せて
今日より明日を未来のことを切なく照らす
目を凝らしていよう移ろう先で
悲しみを愛せるように


言いたいことなんて一つも意味はなくて
伝えたいことだけ言葉になれずにいる
自分を守る殻は一度破れたら戻らない
その一歩は踏み出せないままでいい


ライトに貫かれ暴かれた夜の中で
大事なものを集め抱きしめた闇で眠る
夢が叶う世界でそれよりもっと
僕だけの答えを探して


時間のテンポとずれたリズムで
心臓は歌う


古ぼけた太陽は少しずつ色褪せて
今日より明日を未来のことを切なく照らす
伸びる影を辿り途切れた後も
悲しみを愛せるように

ハッピーバースデー100%の純度を誇示した

今が人生で一番楽しいと思えなくなったら死のっと・・・と思いながら幾年月。未だ、今が一番楽しくて生き永らえています。



12月30日、また一つ歳を重ねました。昔からの義理も幼稚なベタベタした関係からも縁遠くなっていく大人になって尚、尚更、祝ってくれる人がたくさんいることはやっぱり幸せなんだろうなと思います。ありがとうございます。



僕といえば、やっと最後のデッドラインを超えた爽快感と吹き抜けの恐怖感に常在戦場の人生を確信していているところです。死ぬまで楽しそう。

Time of No Reply

Time of No Reply

Time of No Reply

死によって美化されるかのように言われがちな夭折したアーティストの作品。例え、死が悲劇的なものであっても、作品がその一生を美しいものだったと証明してくれるのであれば素敵な在り方なんじゃないのか。
切なさ以上に感じるべきこともあるのかもしれない。

坂の上のオタ

乃木坂46のファンになることを「坂を上る」という。


職場の嵐オタクの女子が突然、これからは乃木坂46を応援していくと表明して騒然となった。



48Gやハロプロ、或いは地下アイドルファンから坂を上る例はいとまないが、ジャニーズ方面からもそれが出てくるとなるとこれは事だと言わざるを得ない・・・坂の上には一体何があるの?
ブームであることで敬遠してしまったり、盛り上がりに加わりたくない一匹には見ることのできない、センセーショナルを可能にする現代最高の煌めきがそこにはあるのか。知りたい。オタク知りたい。



とりあえずまなったんの写真集買うところから始めればいいですか?


無知への鞭

Rage Against the Machine

Rage Against the Machine

テレビを観ないアピールする人がダサいのようなことがよく言われているが、僕は正に、何を聞かれても「テレビを観てないからわからない」としか答えられない無知な上になぜかダサい呼ばわりされるゾーンにいる。
家のテレビが小さいので適当に流して観る気になれないし、真田丸が終わった今(今ってか一年経ったぞ)観たい番組はもうゼロポジションとAKBSHOWしかない。やっと鑑賞の習慣のついたキノも終わってしまったしな。



一発だけ流行るお笑い芸人は実際に観ることなくどんどん消えていくし、短命だった内閣総理大臣なんかも動いてる姿を全く観ることなく次々に去っていった。観る必要あった?わからない。
知る必要はあったとしても。観ずともよかったと。